名古屋地方裁判所 昭和62年(わ)694号 判決 1988年1月22日
主文
被告人を懲役一年に処する。
この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、当時高浜市土地開発公社(以下単に公社という。)の事務局長をしていたAと共謀のうえ、被告人所有の不動産の売却に関し、形式上まず右公社に売却し、ついで公社から第三者に売却したことにして租税特別措置法による優遇措置を受けることを企て
第一 被告人所有の愛知県高浜市高浜町〇〇四三番七宅地249.78平方メートル及び同町<以下省略>所在の建物一棟床面積99.17平方メートルにつき、真実は被告人が昭和五七年一一月一〇日にBに対し代金二三六〇万七五〇〇円で売却したものであつて、被告人から公社へ、そして公社からBへと売却した事実はなかつたのにもかかわらず
一 同年一二月二一日頃、愛知県碧南市山神町二丁目一〇二番地所在名古屋法務局碧南出張所において、前記Aの命を受けた情を知らない高浜市土地開発公社職員Cらをして、同出張所登記官吏に対し、右土地及び建物につき、同日付け売買を原因とし権利者を公社、義務者を被告人とする内容虚偽の所有権移転登記の嘱託をさせ、情を知らない同登記官吏をして、同日頃同出張所備え付けの右土地及び建物の各不動産登記簿原本にその旨不実の各所有権移転登記の記載をさせ、同日これらを同出張所に真正なものとして備え付けさせて行使し
二 同五八年一月二五日頃、前記碧南出張所において、前同様情を知らないCらをして、同出張所登記官吏に対し、右土地及び建物につき、同日付け売買を原因とし権利者をB、義務者を公社とする内容虚偽の所有者移転登記の嘱託をさせ、情を知らない同登記官吏をして、同日頃同出張所備え付けの右土地及び建物の各不動産登記簿原本にその旨不実の各所有権移転登記の記載をさせ、同日これらを同出張所に真正なものして備え付けさせて行使し
第二 被告人所有の高浜市高浜〇〇四三番二宅地69.42平方メートル、同四三番三宅地29.75平方メートル、同四三番一二宅地112.18平方メートルの三筆の宅地計211.35平方メートルにつき、真実は被告人が同五八年八月三一日にDに対し代金二〇〇一万三〇〇〇円で売却したものであつて、被告人から公社へ、そして公社からDへと売却した事実はなかつたのにもかかわらず
一 同年九月一九日頃、前記碧南出張所において、前同様情を知らないCらをして、同出張所登記官吏に対し、右各土地につき、同月一六日付け売買を原因とし権利者を公社、義務者を被告人とする内容虚偽の所有権移転登記の嘱託をさせ、情を知らない同登記官吏をして、同日頃同出張所備え付けの右各土地の各不動産登記簿原本にその旨不実の各所有権移転登記の記載をさせ、同日これらを同出張所に真正なものとして備え付けさせて行使し
二 同年一二月七日頃、前記碧南出張所において、前同様情を知らないCらをして、同出張所登記官吏に対し、右各土地につき、同月一日付け売買を原因とし権利者をD、義務者を公社とする内容虚偽の所有権移転登記の嘱託をさせ、情を知らない同登記官吏をして、同日頃同出張所備え付けの右各土地の各不動産登記簿原本にその旨不実の各所有権移転登記の記載をさせ、同日これらを同出張所に真正なものとして備えつけさせて行使したものである。
(証拠の標目)<省略>
(補説)
弁護人は、判示各事実につき、①いずれも登記簿記載のとおりの売買があつたから、登記簿原本に記載された各所有権移転登記は真実に合致したものであるし、又そのような契約及び登記をすることを公社に任せていた被告人には判示事実について故意がない、②公正証書原本不実記載罪は私人の間接正犯的方法による無形偽造行為を処罰するものであるから、本件のような官公署による登記の「嘱託」は公正証書原本不実記載罪にいう「申立」には当たらないと主張する。
一 しかしながら、前掲各証拠によると、判示のとおり、各不動産についての売買は被告人とB及びDの間において判示日頃に判示代金額で行われたものであつて、被告人から公社に、そして公社から右B、Dへと順次売買がなされたものではないことが明らかである。しかして、中間者として公社への所有権移転登記が経由されたのは、公社に売却した形式をとることによつて、しかも売却代金を一五〇〇万円以下とすることによつて、売主である被告人が租税特別措置法による優遇措置を受けることにあつたことは明白であり、公社は、自己の土地に対する土地区画整理事業に反対する被告人の意を迎えるべくその脱税に協力するため中間者として名前を貸したものに過ぎず、公有地の拡大の推進に関する法律の趣旨に則り公有地の拡大の計画的な推進を図るために本件各不動産を真実取得しようとしたものではなかつたのである。それゆえ、買主たちはいずれも被告人との間で契約書を取り交わして売買契約をしていたものであり、代金もその間で決済されているのであつて、右各売買契約の後に作成された被告人と公社、公社と各買主との(真実の代金額と相違する一五〇〇万円以下の代金による)各売買契約書は登記の形式を整えるために別途作成されたものにすぎなかつたのであるから、被告人と各買主間の当初の売買契約の効力を左右するものではなかつたものである。したがつて、所有権は被告人と各買主との間の売買契約によつて被告人から各買主に直接移転しているのであり、公社を経由して移転したものではないから、判示各所有権移転登記はいずれも真実に合致しないものと言うほかないし、被告人にその点を含め判示事実についての故意のあつたことも証拠上明らかである。なお、弁護人が弁論要旨第三の一〇項、一一項で主張する、被告人と公社間の合意事項及び被告人の認識事実によつても、被告人に租税特別措置法による免税の利益を得させるため公社が形式的に中間者として介在したものにすぎず真実の売買当事者となつたものではないこと及び被告人がそのことを認識していたことは明白であろう。
二 嘱託が申立に当たるか否かにつき検討する。不動産登記法二五条によると、登記は原則として当事者の申請又は官公署の嘱託によつてなされ、嘱託登記手続については原則として申請による登記手続に関する規定を準用することとなつている。ここに「嘱託」とは、官公署が登記所に対し一定の登記をすることを依頼する意味であり、これには官公署が不動産取引の当事者となつて登記を依頼する場合(同法三〇条、三一条)と官公署が公権力の主体として当事者の権利関係に介入して登記を依頼する場合(同法二八条の二及び三、二九条、三四条、一〇四条、一〇六条二項等)の二つがある。本件は前者の場合である。ところで、「嘱託」と言い「申請」と言い実質は同じであつて、いずれも登記簿に一定の登記の記載を要求する行為であるが、ただ私人の請求について申請の語を用い、官公署の請求について嘱託(これは当然のことながら官公署が取引当事者である場合であつても官公署が単独で行うものである。)の語を用いるとともに、嘱託については官公署が一般私人よりも信用度が大きいところから、添付書類などにつき特例を認めようとしたものであるとされているのである。かかる点からすると、登記の申請も登記の嘱託もともに登記の申立と呼ぶに支障はないと言わざるをえない。まして本件は、官公署が不動産取引の当事者として所有権移転登記を嘱託したものであつて、登記簿原本に記載された登記も当事者の双方申請による場合となんら相違しないのである(この場合嘱託によらず双方申請によることもできるとする説も存する。)。そして登記簿原本の不実記載を防止すべき必要性は、当事者の双方申請の場合であると官公署の嘱託の場合であるとによつて何ら相違しないから、この点でも両者を別異に扱うべき理由は存しない。以上の諸点に鑑みると、少なくとも官公署が不動産取引の当事者になつている場合については、公正証書原本不実記載罪に関し登記の申請と嘱託とを別異に取り扱うべき理由はないものというべきである。又、登記権限を有しない公務員は登記に関するかぎり私人と法的立場を異にしないから公正証書原本不実記載罪の主体に関し両者を別異に扱うべき理由はないから、この点において公社事務局長のAが本罪の主体となつたとしても支障はない。更に、本件では公社事務局長のAが被告人の脱税に加担するため権限を濫用して公社の権限及び事務局長の権限を越えた判示各行為をしたものであつて、そこに存するのはAの個人行為に過ぎないから、これを公社の行為と解する必要もない。そうとすると、以上何れの点から考えても、本件の登記の嘱託が刑法一五七条一項に言う「申立」に当たらないという主張は失当である。
(法令の適用)
被告人の判示各所為のうち、各公正証書原本不実記載の点は不動産登記簿原本一筆毎に各刑法一五八条一項、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、各同行使の点は同じく一筆毎に各刑法一五八条一項、六〇条にそれぞれ該当するところ、右のうち各公正証書原本不実記載罪及び同行使罪はそれぞれ一個の行為で数個の同一罪名に当たる場合であり、又各公正証書原本不実記載罪と同行使罪とは順次手段結果の関係にある場合であるから、結局刑法五四条一項前段、後段、一〇条によつて判示第一の一、二、第二の一、二のそれぞれを一罪として、判示第一の一、二についてはいずれも犯情の重い判示四三番七の土地についての公正証書原本不実記載罪の刑、判示第二の一、二についてはいずれも犯情の最も重い判示四三番一二の土地についての公正証書原本不実記載罪の刑で処断することとし、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、刑法四七条本文、一〇条によつて犯情の最も重い判示第一の一の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で被告人を懲役一年に処し、情状により刑法二五条一項を適用しこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文によつて被告人に負担させることとする。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判官笹本忠男)